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shoryu20の忍たま日記

『忍たま乱太郎』について色々と書いていくブログです。藤崎竜さんの『封神演義』のレビューも始めました。

山田先生と伝子さんについて考えてみた。

雑感

忍たま乱太郎』24期第6話の「お嬢さんと呼ばれたいの段」は六年生の女装のインパクトに大笑いする一方で山田先生の女装に対する意識の高さに関心した話であった。自分以外の何かになりきると言う事は凄く大変な事なんだな。

 

ふと思ったのだが、「伝子さん」と言う女性は元々は存在しない。あくまで「山田先生が女装した姿」だ。しかし、山田先生は女装している間は伝子さんと言う存在になりきっている。この時の山田先生はどのようにして伝子さんになりきっているのだろうか?

例えばだが、伝子さんが何歳の設定なのかで言動に変化が生じる。室町時代の事はよく分からないので現代に置き換えて話をすると、同じ「お嬢さん」でも15歳と20歳では大きく違う。現代だと15歳は中学生か高校生で20歳だと大学生だ。伝子さんになりきると言うのなら、伝子さんが何歳かと言う設定も当然考えているはずだ。

そしてこれは年齢だけには留まらない。出身地がどこかで話し方や話す内容も変わってくるし、伝子さんとして誰かと日常会話を行うのなら好きな食べ物やら服の色や柄やら花やら好みの男性やらも設定しておかなくてはいけない。おそらくだが、伝子さんになりきる山田先生はそれらを全てちゃんと考えているのだろう。

伝子さんがどこで生まれ、どのように育って、どのように生きてきて、どのように考えているのか、それらを全て設定する事で「元々は存在していない」伝子さんと言うキャラクターに山田先生はなりきる事が出来るのであろう。

 

ここで一つ思い出した話がある。確か23期第7話の「山田伝子のプライドの段」でドクたまが伝子さんを見たいと言う話を聞いた山田先生は「山田伝子は見世物ではない」として「山田伝子を傷付けないでほしい」と言っている。伝子さんは山田先生の女装の術で生まれた存在なので正確には「術」であるし、山田先生も自分の女装の術は完璧だと言う場面が度々ある。しかし、この話ではその「術」とは別に「山田伝子と言う人格」があるかのように山田先生は話している。

伝子さんは元々は女装の術用の架空の存在であるが、詳細な人生を設定した事で山田先生の中では「一人の人間」として捉えられるようになったのかもしれない。そんな馬鹿なと思うかもしれないが、我々だって「山田伝蔵」と言う漫画の中の架空の存在を「一人の人間」として見ている。もし山田先生が何か辛い目にあったら劇中の山田先生が伝子さんに対して言ったように「山田先生を傷付けないでほしい」と思うはずだ。

 

少し別の話をするが、山田先生は単身赴任で服の洗濯等はまとめて実家の奥さんに頼んでいる。洗濯くらいは自分でしろよと言いたくなるがなかなかやらない。これが伝子さんになると洗濯をあっさりと片付けている。伝子さんは色々な屋敷に潜入する事があり、その際に料理を含めた家事全般をこなしている。伝子さんに変装せずとも山田先生自身も洗濯や料理は出来るのだが、伝子さんの手際の良さを見たら、伝子さんに変装して洗濯を片付けたら奥さんに頼む必要は無くなるんじゃないかなと思ってしまう。

で、実際に山田先生の洗濯を伝子さんが片付ける場面を頭の中で想像してみたのだが、なんか、山田先生と伝子さんが夫婦のように見えてしまった。体は一つなのだが、人格は山田伝蔵と山田伝子と言う二人がいて、その二人が夫婦と言う形になるのだ。

利吉さんは山田先生の女装を嫌がっていて、その理由は伝子さんの外見とか、外見の問題を除いても自分の父親の女装はあまり見たくないとか、色々あるんだろうけれど、山田先生と伝子さんの関係を夫婦として見たら利吉さんが異様に伝子さんを毛嫌いする気持ちが分かった。利吉さんは休みの日には母上の所に帰るようにと山田先生に注意しに来るなど母親の事を深く想っている。それが山田先生の女装した姿とは言え、自分の父親が自分の母親以外の女性に入れ込んでいる姿は嫌なのかもしれない。だから「伝子さんなんかにはならずに母上の所に帰ってほしい」と強く訴えているのかもしれない。

 

我ながら物凄くドロドロした人間関係を思いついてしまったものだが実際の話でこういう展開は無い。と言うのも、実際に山田先生が伝子さんになって洗濯物とかを片付ける話は殆ど無いのだ。女装して片付けてしまえば簡単だし利吉さんや奥さんに色々言われる事も無いのにどうしてなのか? おそらくだが、山田先生は自分の服を洗ってくれる女性は妻だけと決めているのかもしれない。たとえ伝子さんであっても山田先生と奥さんの間に入る事は出来ないのだ。