shoryu20の忍たま日記

『忍たま乱太郎』について色々と書いていくブログです。藤崎竜さんの『封神演義』と柴田亜美さんの『南国少年パプワくん』のレビューもあります。

「未来視たちのディアレクティーク㊦」 『封神演義』第24回

「未来視たちのディアレクティーク㊦」

封神演義』第24回

 

ここで封神計画の内容がガラッと変わる。

第1回で語られたのは「妲己とその手下365人を倒して封神する事」と言うとても分かりやすいものであった。しかし、既に人間界の強力な支配者となっている妲己がいなくなれば大きな混乱が起きてしまうので、妲己(と紂王)がいなくなった後の新たな王を作る事が必要となった。そこで姫昌に妲己と紂王を倒させる事で彼を新たな王にすると言うのが封神計画の真の目的であった。

仙人界が総力を挙げて妲己を倒せば話が早いが、あくまで姫昌が妲己を倒さなければ、彼は新たな王として民の信認を受ける事が出来ない。つまり、仙人界は表に出ず、あくまで姫昌のサポートに徹しなければいけないのだ。

一見すると元始天尊は人間界の事を考えているように聞こえるが、実は妲己と同じく仙道の力で人間界を裏から動かしているとも言え、この辺りは後に聞仲にも指摘される事になる。

元始天尊の話を聞いた太公望は「たとえ犠牲が多くとも人間界の平安は人間達自身が勝ち取らなければならないと分かってはいた」と答える。ここで思い出すのが『ウルトラマン』。宇宙から地球にやって来た銀色の光の生命体ウルトラマンはその超人的な力で地球人達を助けていくが、最終回でゾフィーと言う仲間に「地球の平和は地球人自身の手で掴み取る事に価値がある」と諭されて地球を去る事になる。このテーマは後のシリーズにも受け継がれていて、中には「ウルトラマンが怪獣や侵略者を倒してくれるから地球人自身は戦わなくても良い」と言う会話が出て、ウルトラマンが地球に居続ける事で地球人の自立心が失われていくと言う作品もあった。

 

「人間界の平安は人間達自身が勝ち取らねばならぬ」として「自分はそれを手伝う事しか出来ない」と複雑な表情で語る太公望。この時はまだ明かされていないが、太公望の正体が伏羲だと考えながらこの場面を見ると、これは伏羲の考えでもあったのかなと思えてくる。(この時は伏羲の意思は目覚めていないけれど)

 

因みに封神の書は当初の時点で予想された犠牲者の名前を記しただけと説明されている。蟬玉の名前が記されていたのは金鰲出身だから、土行孫の名前が記されていたのは美女に弱いので妲己の誘惑の術に引っかかるからかな?

 

しかし、これ、どうして元始天尊は第1回でこのように説明しなかったのかな? 封神の書を読めば自分の指示に偽りがあるとすぐに気付かれる恐れがあるのに、あえて最初に嘘の計画を告げた理由がちょっと分からない。