翔龍shoryuの忍たま日記

『忍たま乱太郎』について色々と書いていくブログです。『ドラゴンボール』や藤崎竜さんの『封神演義』のレビューも書いています。

「太子の選択・その1」 『封神演義』第77回

「太子の選択・その1」
封神演義』第77回

 

序盤は久し振りの登場となった太子二人についての解説を殷郊自身が行っているのだが実は内容が一部変更されている。殷郊が少年の時に太公望に助けられた直後に申公豹が来て「殷の王太子が殷の敵である太公望の下につくというのですか?」と尋ねられたとなっているが「未来視達のディアレクティーク㊤」でこのような発言は無かった。
これは封神計画が「妲己とその一味を倒す」から「殷周易姓革命を起こす」へと途中で切り替わった為。実際は太子二人の初登場時の封神計画は「妲己とその一味を倒す」だったのだがこの解説シーンではこの時既に封神計画は「殷周易姓革命を起こす」へと移行していたとなっている。
封神計画の内容変更は「未来視達のディアレクティーク」の時点で中々無理のある感じだったが、その時のツケがここで再び出てしまったと言える。

 

「太子二人」の時に母を殺された殷郊と弟は朝歌を脱出して太公望の所に助けを求めた。太公望は西岐の姫昌に会う予定だったので、そのまま殷郊と弟も西岐へと身を寄せる形になっていたと思われる。しかし、これは「紂王が乱心して前皇后を自害に追い込み、後継者二人は父と朝歌の民を捨てて西岐へと脱出した」となってしまう。もし殷郊と弟が西岐を味方にして妲己を倒して殷を立て直すと言うのならまだ大丈夫なのだが実際は殷郊は自分達では敵討ちは無理と諦めていた。西岐の姫昌が朝歌に攻め入って妲己を倒した後に再び紂王や殷郊達に政権を渡したとしても民としては問題解決能力が無い紂王や殷郊達より姫昌に新たな王になってほしいと思うだろう。だから、申公豹は殷郊達の事を「支配者として愚鈍」と言い放ったのだろう。
まだ幼い弟は自覚が無いものの殷郊の方は子供の時から既にこの事には自覚があったらしく、「未来視達のディアレクティーク㊤」では「自分には生き延びてしなければいけない事がある」と叫び、今回の話で遂に「次の王として国の為に身を削る義務がある」と決断している。
殷郊は崑崙が自分達を道士にして修行をさせる事に「何か間違っている」と感じていた。封神計画が「妲己とその一味を倒す」なら何も間違っていないのだが、内容が「殷周易姓革命を起こす」になった以上、殷の太子が崑崙の道士になって周軍に加わって殷と戦うと言うのは「太子すら殷を見限った」と言う形になってしまう。封神計画が「殷周易姓革命を起こす」に変わった以上、太子は太公望の味方になってはいけなかったのだ。

 

自分の「生まれ持った運命」を自覚した殷郊だが、それに宣戦布告を突きつけられた武王は「俺は別に王になりてーってわけじゃ…」と言葉を濁す。武王はまだ自分の「生まれ持った運命」を自覚していなかった。武王は本来は殷郊ではなくて弟の殷洪の位置だったので仕方が無いのかもしれないが……。因みにこの直後の武王は殷郊の処置を太公望に尋ねる等、以前の殷郊と弟のように「人を頼っている」。

 

殷郊「僕はきっと死ぬ。でも弟には生きのびてほしいと思ってる」。
殷郊の死は歴史の道標によって決定されている。申公豹はまだ全ての謎を解いてはいないのだが歴史を裏で操り人の生死を決めている存在がいる事はこの時点で掴んでいるはず。後に申公豹は女媧の事を「私の美学に反する人」と言っているが、ひょっとしたら、殷郊の存在(=女媧の歴史操作によって死が決められた人)が申公豹の中に残っていてこの言葉が出たのかもしれない。

 

「私は王太子殷郊!! あなた達の君主・紂王の第一太子だ!!!」、
「殷の太子様!!?」、
で民が一斉に頭を下げる場面は思わず背筋がゾクリとした。
武王は人柄で民との関係を築いたのだが、殷郊は「王家が持つカリスマ」で問答無用で民をひれ伏させた。

 

太子の選択・その2」に続く。

 

 

封神演義 9 (ジャンプコミックスDIGITAL)

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