翔龍shoryuの忍たま日記

『忍たま乱太郎』について色々と書いていくブログです。『ドラゴンボール』や藤崎竜さんの『封神演義』のレビューも書いています。

「趙公明攻略Ⅴ -人間の証明㊦-」 『封神演義』第89回

趙公明攻略Ⅴ -人間の証明㊦-」
封神演義』第89回

 

哪吒はこれまで「破壊したいから破壊する」で戦ってきた。つまり「自分の思うまま」に暴れていたと言える。最初にそれを止められたのは初登場エピソードで殷氏に李靖を殺すなと言われた時だが、あの時も哪吒は太公望の説明が理解出来ず結局は「母が殺すなと言ったから殺さない」とした。その後の戦闘では哪吒が破壊したい対象と太公望や周や崑崙の目的が一致していたので特に問題は無かった。強いて挙げれば魔家四将戦で雷震子が「俺ごと倒せ」と言った時くらいであろう。この時の哪吒は「雷震子を倒したくない」と思って攻撃を躊躇っている。
今回の話でも哪吒は「馬元を殺したくない」と思って攻撃を躊躇している。しかし、馬元の過去を聞いて涙を見て哪吒は考え、遂に「自分の思いとは逆の行動」を取るようになる。ただ感情の赴くまま動くのではない。時に自分の思いとは違う行動を取らなければいけない。太公望は今回の戦いを「正念場」と評したが、哪吒はその正念場を乗り越え、一つ大人になった。

 

宝貝人間にも魂は宿るのだな……」。
哪吒だからこその言葉なのだが「同じ宝貝人間ではあるが哪吒と違って馬元には元から魂があったのではないか?」と考えられてしまうのがちょっと気になる。やろうと思えば馬元の設定をもっと哪吒寄りにする事も出来たと思うのだが……。
個人的にはわざと「馬元には元から魂があったので、飛んだ魂魄も宝貝人間に宿ったものではなかった」と言う解釈も成り立つように話を作ったのではないのかなと思っている。個人的に藤崎竜さんはこういうウェットな場面でも見方によっては登場人物を突き放した冷たい解釈も可能だとする非常にドライな一面を持った人と言う印象がある。

 

呂岳封神。「狂気」と評される彼だが「子供は親に刃向かわない」「自分の身は守る」と普通の人間に近い感覚も持っている。彼のおかしい部分は「他人に対して」の部分である。取り乱した時の言動は意外と普通の人間っぽいので彼の素はこちらで、他人に対する敬意の異常な無さは果てない実験や研究の果てに徐々に作られていったものなのかもしれない。
ふと思ったのだが、仮に呂岳の素の部分は普通で、彼のおかしい部分は果てない実験や研究の果てに徐々に作られていったものだとするなら、趙公明に弟子として拾われた時の呂岳は少年馬元のようだった可能性もあるのかな?(つまり呂岳は趙公明によって壊されていた)

 

子供の事を「素敵」「最強」と褒め称える父を「父に好かれたい」と言った息子が殺す一方、子供の事を「嫌い」だと言う父を父の事を「殺す」と言っている息子が助け出す。親子って何だろうな……と感じる話。

 

趙公明攻略Ⅵ -蟬玉・ストーカー被害-」に続く。

 

 

封神演義 11 (ジャンプコミックスDIGITAL)

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