shoryu20の忍たま日記

『忍たま乱太郎』について色々と書いていくブログです。藤崎竜さんの『封神演義』と柴田亜美さんの『南国少年パプワくん』のレビューもあります。

「中BOSS BATTLE④ -アンニュイ学園を断固阻止せよ!-」 『封神演義』第102回

「中BOSS BATTLE④ -アンニュイ学園を断固阻止せよ!-」

封神演義』第102回

 

いきなり始まる『国立アンニュイ学園』のインパクトが凄まじい…。

漫画の面白さ云々以前に、この展開をやってよく編集長に殺されなかったものだ…。

『アンニュイ学園』は80年代の様々な要素を盛り込んだ感じに仕上がっていて、ここまであからさまなのはさすがに少ないと思うが似た感じの作品は実は結構あったんじゃないかなと思う。

 

今回の話はとにもかくにも元始天尊趙公明も驚いた武吉の戦闘力の高さであろう。同じ天然道士である黄飛虎や天祥が高い戦闘力を発揮していたので武吉のこの強さも納得。

しかし、太公望は武吉を戦わせる事はせず、戦場に連れて来ても負傷者の運搬や情報収集と言ったアシストやサポートに徹しさせていた。また、武吉に殴られた趙公明自身も「武吉は戦いに向いていない」と発言している。武吉は天然道士として高い素質を秘めているので、ちゃんとした訓練を施せば戦力として期待できると思うのだが、どうして太公望は武吉を戦闘に参加させず、趙公明も武吉は戦いに向いていないと発言したのだろうか?

肉体的な強さは申し分ないのなら問題は心にあると考えられる。『封神演義』は戦争モノなので「戦い」と言うのはイコール「人殺し」でもある。そこには「怒り」や「悲しみ」や「憎しみ」と言ったものがついてくる。こういった感情をコントロールできなければ取り返しの付かない事態になる事がある。太公望趙公明も武吉はまだそう言った感情の渦の中に入れるべきではないと判断したのかもしれない。(武吉が「怒り」「憎しみ」「悲しみ」の感情のまま戦い続けていたらどうなっていたのか? 個人的には『ドラゴンボール』の孫悟飯VSセル戦みたいになっていたような気がする)