読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

shoryu20の忍たま日記

『忍たま乱太郎』について色々と書いていくブログです。藤崎竜さんの『封神演義』のレビューも始めました。

「土井先生ときり丸の段」 『忍たま乱太郎』19期第90話(スペシャル)

忍たま乱太郎19期

「土井先生ときり丸の段」

忍たま乱太郎』19期第90話(スペシャル)

2011年9月12日放送

 

2011年の『忍たま』はアニメと実写での映画公開が決まっていて色々なイベントが行われた。その一つに人気投票があり、「下級生」「上級生」「忍術学園」「その他」でそれぞれ募集をし、各部門の1位になったキャラクターにまつわるエピソードが再放送され、さらにその総合第1位となった土井先生を主役としたスペシャルエピソードが作られた。

公式サイトでの本作の放送日は「9月12日」になっているが、実はその前に実写映画と連動したスペシャル番組が7月に放送されていて、そこが初放送となっている。2011年は東日本大震災があったので、スペシャル番組では被災した子供達を取り上げた場面もあり、きり丸や土井先生の境遇と重なる部分も見られた。(製作時期を考えると偶然なのかな…とも思えるが、実際のところはどうなんだろう?)

 

個人的な話をすると、自分は岩手県在住で東日本大震災の影響を受けました。内陸なので津波やら避難やらは無かったのですが、停電を始めとしたライフラインの停止があったので、やはり「日常が崩壊した」と言うのは感じました。TVも震災関連ばかりになりましたし、最初の数ヶ月は沿岸地域にいる親戚知人の消息を求める日々でしたし。そういう時に『忍たま』みたいな毎日放送されている作品のありがたさを感じました。その10分間だけ気を休められるって言うのは大事なんですよね。特にあの頃は現実世界を見回しても震災絡みばかりだし、TVを点けても震災絡みばかり。毎日毎時間全部震災絡みだったので、時間の感覚も曜日の感覚もおかしくなりそうだったので、「毎日or毎週、決まった時間に放送されている作品」と言うのは気持ちの上で非常に大切なものだと知りました。

これから先もとてつもない事件や事故や災害が起きるとは思いますが、そういう時でもどこか一つはこういう作品を放送し続けてほしいなと思います。

 

前置きが長くなっちゃいましたが、ここから下は内容についての感想を。

 

自分もきり丸みたいに土井先生にお世話されたいと言う一年は組のよい子達。これは保育所や幼稚園や小学校の子供達が大好きな先生ともっと一緒にいたいと言う延長のように見える。実際に先生の家に行きたいとまでは言わなくても、先生と一緒にいたいから保育所や幼稚園や学校から帰りたくないと思った人はいると思う。それは多くの子供達が一度は感じた事かもしれないが、土井先生ときり丸が一緒に暮らすようになった理由はそれとは違う事が終盤に明らかになる。

 

「我が家はいっつも閉めっぱなしですからね」と言うきり丸の言葉を聞いて「我が家か…」と噛み締めるように呟く土井先生。因みにきり丸はこの直前の乱太郎としんべヱがいる場面では「土井先生んちに寄らないの?」と言っている。きり丸は意識して使い分けをしているのか、それとも無意識のうちに「我が家」と言ったのか…。ここでのやりとりを見るに、きり丸は無意識っぽいが、土井先生はその辺りを色々と自覚していると言う感じかな?

 

土井先生ときり丸の関係を気にする大家さんと隣のおばちゃん。やっぱり周りから見ると気になるんだろうなぁ。

ここで面白いのは隣のおばちゃんは「親子」、大家さんは「兄弟」と、周りの人は「血の繋がり」を感じていたのだが、当のきり丸は「赤の他人」と否定するところ。土井先生ときり丸は血の繋がりが無い(と言うか、この時の彼らにとって血の繋がった家族はこの世に一人もいない)のだが、それでも周りは二人を「家族」だと思うような雰囲気がそこにあったと言う事。

 

きり丸「ただいまぁ~!」、

土井先生「お帰り…。きり丸」。

戦で家を失ったきり丸にとって「ただいま」と言える場所が出来たのも良いが、同じく家族を失った土井先生にとって「お帰り」と言える相手が出来たのも良い。

家に中々帰れなくて大家さんに小言言われる土井先生を見て、それなら家を売り払って忍術学園に住み込みをすれば良いのにと思った事もあったが、この話を見ると「家」と言うのがいかに大事なものなのかが分かる。

 

勝手に自分達の事をあれこれ推測する大家さんと隣のおばちゃんはきり丸にとってはちょっと鬱陶しかった存在かもしれない。が、その一方できり丸自身も自分と土井先生の関係に思うところがあったのも事実であろう。

「土井先生の誕生日の段」ではきり丸は土井先生の誕生日を知らなかったと言う話があり、その回できり丸は「土井先生はプライベートの事を話ししない」と言っている。しかし、これは裏を返すと「きり丸は土井先生について深く追求してこなかった」とも言える。仮にこれがきり丸でなくてしんべヱだったら土井先生の誕生日がいつなのか聞き出すまで質問攻めをしていたと思う。

今回の大家さんと隣のおばちゃんの話はきり丸が聞きたくても聞き出せなかった事を聞くきっかけとなった。

 

きり丸「先生はどうして僕の事を気にかけてくれるんですか? こうやって、面倒を見てくれてたり…」、

土井先生「まぁ、同じような育ち方しているからかな…」、

きり丸「同じような…、え?」。

やりとり自体は短いのだが、ここで土井先生はどこまで言うつもりだったのか気になる。なんとなくだが、きり丸しかあの場にいなかったら、もう少し踏み込んだところまで言ったかもしれない。ただ、あそこには一年は組の皆もいる事を土井先生は知っていた。つまり、あそこで長々と話をすればそれは全て一年は組の皆に知られる事にもなる。

正直言うと、ここがかなり難しいところ。自分の過去をどこまで言うか、それによって一年は組の皆は自分をどう見るようになるのか。また、自分ときり丸が同じだと言う事を強調した時、一年は組の皆ときり丸の関係がどうなるのか。そして自分ときり丸を同じだと言う話をするなら、それは一年は組の皆の前でもう一度きり丸の過去を語る事にもなる。

上の事を考えてもう一度劇中のやりとりを見直すと、土井先生はかなりギリギリのラインで踏みとどまったと言える。あの場面であれよりもう一歩でも踏み出していたら、これまで続いてきた『忍たま』の世界が崩壊する可能性もあった。その「崩壊」が「子供時代の終わり」となり、土井先生ときり丸と乱太郎を始めとした一年は組の皆の新たな第一歩となるだろうが、それはアニメ『忍たま乱太郎』の最終回を意味する。この場面はアニメ『忍たま』がこの先も日常を続けていくのかこれで終わりにするのか、その分岐点になり得た場面だったと言える。

そして土井先生は最終的に「まぁ、いいさ! そんな事! さぁ、食べよう食べよう! 乱太郎、しんべヱ、もういい加減入ってこーい! 庄左ヱ門達も出てこーい!」と言い、『忍たま』の日常を続けると言う選択をした。

そんなわけで、この回の土井先生と言う存在は物凄いものがあった。なにせ19年続いてきたアニメ『忍たま乱太郎』を終わりにする事を出来る選択を与えられていたのだから。

 

こうして19期が終わり、次の年も『忍たま』はまた新たな日常を始めるのであった。

 

そしてまた“ゆめのタネ”まこう