shoryu20の忍たま日記

『忍たま乱太郎』について色々と書いていくブログです。藤崎竜さんの『封神演義』と柴田亜美さんの『南国少年パプワくん』のレビューもあります。

「鏡3」 『封神演義』第188回

「鏡3」

封神演義』第188回

 

太公望が王天君との融合を躊躇する理由は「わしとて、これまでのわしに愛着を持っておる。おぬしと融合して違うモノになるって事をそう簡単には決めかねるよ!」「わしとて、わしなりに、わしとしてやってきたのだ。それをホイホイと捨てられようか?」であった。

太公望のこの理由はもっともで、人間と言うのは「自分と言う存在」をそう簡単に失う事が出来ない。しかし、その一方で太公望は「答えは最初から出ておる。というか、答えなど一つしかないのだ」とも言い、最終的に王天君との融合を決断する。

太公望が王天君との融合を決断した理由は「仙道のいない人間界を作る為」であった。本作における太公望は幾度が辛い出来事を経験しているが、それに屈せず乗り越えてきたのはこの「仙道のいない人間界を作る」と言う目的があったから。

しかし、これには一つ問題がある。仙道のいない人間界を作るまでは太公望は何が何でも生き延びて目的を達しようとあらゆる手段を使うであろう。だが、その目的を達した後、太公望は何を理由にして生き続けようとするのだろうか…?(因みに太公望は張公明戦の時に一度挫折しかけているが、この時は妲己によって再び生きる力を得ている)

 

燃燈道人が戦いに使う力は「気合い」。まぁ、『ドラゴンボール』で言う「気」みたいなものなのだろう。『ドラゴンボール』以外にも『キン肉マン』の「火事場のクソ力」や『聖闘士星矢』の「小宇宙(コスモ)」等、バトル作品ではよく見られるもの。それがギャグのようになってしまうところに少年ジャンプにおける『封神演義』の特異さが見てとれる。

終盤に登場した事もあって『封神演義』の中では異色なキャラとなっている燃燈道人だが、少年ジャンプを読む小学生男子辺りにアンケートを取ったら上位の人気を得そうな印象がある。

 

負けを認めた妲己宝貝も放棄して大人しく捕虜になると宣言。

現在の燃燈道人側の戦力を考えたら、さすがの妲己も勝てるかどうか分からず仮に勝てたとしてもこれまでのような余裕のある勝利はまず無いであろう。しかし、ここであっさりと負けを認めた事によって妲己は実力の全てを見せずに戦いを終える事となった。この結果、読者は妲己の真の力を知る機会が無くなり、妲己太公望相手に優勢に戦っていたイメージを残して最後までいる事となる。

バトル要素のある長期連載作品は途中で強さのインフレが起き、中盤で圧倒的な強さを見せた存在も終盤に入ると弱さを感じるようになる事が多いが、『封神演義』は聞仲や妲己と言った序盤から登場していた強敵に弱いイメージを付けないまま最終回に至っている。(趙公明の場合は彼が戦う時に「中ボス」と明言する事で「途中から格が落ちる」ではなく「最初から中ボスレベルの敵である」としている)

この「敵の格を途中で落とさない」と言う描き方は『封神演義』がバトル作品としては「異色」であったからこそ出来た事なのかもしれない。王道のバトル作品だったら最終決戦のどこかで妲己との戦いを描いたと思うし、その際には「聞仲より遥かに強い」と言う表現が入った可能性がある。

 

楊戩「シスコン?」、

哪吒「シスコン…」、

張奎「シスコン!!」。

燃燈道人もナルシスとマザコンとホモ疑惑に思われたくはないだろうなぁ。

それにしても哪吒が「シスコン」と言う言葉を知っていたとは。

 

「だまれ、妲己のくせに!!」と言って妲己の頭を殴る張奎。

絶対に聞仲の恨みを代行しているw

 

前回の妲己の「うっそぉん」や今回の申公豹の「ぎくっ」等、燃燈道人は強キャラ達にこれまで見せた事が無い反応をさせるのが面白い。

本人は真面目で漫画としての見せ方も真面目にしているんだけど、その真面目さや強さや格好良さが逆にギャグになっている。